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[ハイキングコース入口]掛川市小夜鹿

青木坂を中ほどまで上ると、右側に小さな道標があり「→小夜の中山ハイキングコース」と書かれています。東海道から右へ曲がる細い道は、国道一号線方面とを結ぶ道で、小夜の中山隧道付近へとつながっています。

 

ハイキングコース入口

[小泉屋]掛川市小夜鹿

小泉屋は紀行文などにも登場する茶店で、かつては小夜の中山久延寺西側にありました。『東海紀行』に「小泉茶屋ヨシ、女子多ク出テ旅客ヲ呼ブ」とあるように、昔は女の子が街道で客引きをしていたようです。小泉屋は明治時代に中山新道開通に伴って下へと移り、今でもバイパス沿いで子育て飴や軽食で旅人をもてなす茶店を営んでいます。

小泉屋

[夜泣き石]掛川市小夜鹿

小泉屋裏手にある階段を登ると小さな広場があり「夜泣き石」が祀られています。夜泣き石は、明治元年まで浮世絵に描かれているように東海道の道の中央にありましたが、諸事情から何度か移動されて現在は小泉屋裏手に置かれています。また、ここには菊川から出たという平らな形の「菊石」も祀られています。

 

なぜ夜泣き石が小泉屋にあるか

夜泣き石は、明治元年天皇が東幸するにあたって畏れ多いとして、沓掛の茶店に動かされました。それから久延寺境内に移した後、明治十四年に東京浅草で開かれた「勧業博覧会」に夜泣き石を出品することになりました。しかし、すでに東京ではハリボテの石の中に子供を入れて泣かせる偽物の夜泣き石が評判を得て稼いでおり、本物の夜泣き石は「少しも泣かない」といって不評に終わりました。焼津港まで運んだものの、お寺まで運ぶ費用が無く雨ざらしになっていました。それを中山新道からお寺まで運ぼうとしましたが、急坂のため運びきれずに峠の下の小泉屋の庭先に置くことになったそうです。

 

関連リンク

●昔ばなし「夜泣き石」

夜泣き石
菊石

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