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[遠江塚と遠江守定吉に関する記述]

■松平遠江守定吉自害の悲劇

 「遠江塚」は掛川城主松平隠岐守定勝の長子遠江守定吉を供養するために築かれ、その上に五輪塔がすえられた塚である。わずか十九歳という若さで自らの生命を絶った遠江守定吉が死ななければならなかった背景にはなにがあったのか、史書によってもさまざまな説がしるされているが、本当のことはわからない。
 『遠江古蹟図絵』の説によると、浜名湖の今切れの海において徳川家康の船に同乗していた定吉が、ちょうど飛来した一羽の鳥にむかって矢を射たところ命中して鳥が落ちた。これをみた家康が、誰のいいつけでそのような無益なことをしたのか、はなはだ粗怱な行為である‥‥と怒ったというのである。定吉にしてみれば見事射落としたため褒めてもらえると思っていたのに、逆に家康の機嫌を損じたことから、掛川宿の町裏において自らの生命を絶ったというのである。このとき、近習の侍たちも殉死して果てたともしるされている。
 『遠江古蹟図絵』によると、
松平遠江守定吉
「‥‥和尚に逢ひてその由来を聞くに、和尚曰く、寺の記録に有るは、飛鳥の事は偽説と見ゆ。遠江守は予州松山の城主松平隠岐守先祖なり。すなわち神君甥なり。自ら遠江守を名乗る。遠江国を横領せんとの存念にて、遠江守名乗られしなり。この事、家康公御心に叶わず、御中不和なる由、去んぬる慶長七年、濃州関原御陣の時、遠江守十八歳に成らせたまふ。若年と云ひ対象と為る事覚束なくも思召し、御共に連れなされずとなり。‥‥略‥‥君御馬先の用にも立たんと武術稽古もせしに、若年と云ひ、悔られしこそ口惜しきと思はれん、真如寺において切腹有り。」
とあり、著者兵藤庄右衛門は、この飛鳥射落とし説のほかに、関ケ原の合戦に出陣を許されなかったことに対する口惜しさによるものだ‥‥という説もあると書いている。そしてこの説は松平定吉の墓のある真如寺(掛川市仁藤町)の時の住職から聞いたものであることを明記している。
 松平遠江守定吉は、若くして生涯を終えただけに悲劇の人物とされ、文学作品の素材にもなっており、田宮虎彦の『鷺』の主人公として扱われている。


■遠江守定吉の出生

 定吉の父松平隠岐守定勝は、家康の異父弟である。家康の実母伝通院お大の方が政略結婚の末に阿久比城(愛知県知多郡阿久比町)の城主久松佐渡守俊勝に婚して生んだ三人の男子の一人が松平隠岐守定勝である。長男が康元、二男康俊、そして三男が定勝である。お大の方が末子の定勝が豊臣家に養子に出される話が進んだとき、兄源三郎康俊の二の舞いになるのでは‥‥となげき家康を説き、一旦は決まっていたこの人事を解かせて定勝の代りに家康自身の子於義丸(結城秀康)を養子にさせたという事が『藩翰譜』にみえている。
 大名再配が行なわれたこの時期、重用されていたのは井伊直政、榊原康政、本多忠勝ら、いわゆる三人衆で、松平一族は比較的軽視されている。家柄や一族にこだわらない家康の合理主義がうかがわれる。
 定勝が掛川城に封ぜられたのは関ケ原の戦いのあとの慶長六年(1601)、長男定吉もこの城に入り、読み書きを城下の真如寺二代聚鯨(じゅげい)和尚について学んだという。
 事件があったのは慶長八年11月11日のことであった。この日定吉は掛川城内において切腹して果てたのである。故あっての自刃とあって、城内での葬儀ができなかったためか、城下の下俣に二五間四面の縄張りをし、この地で葬式が行われたといい、真如寺の聚鯨和尚が導師をつとめたとされている。遺骸は真如寺に葬り、墓碑が境域の一角に建てられたと伝えられており、現在も同寺の墓苑の一角に風雪に耐えている。


■遠江塚の現在

 『掛川誌稿』仁藤村の項にある「日輪山真如寺の条」には、松平定吉のことが記されている。それによると、真如寺の裏には「為自照院殿前遠州大寺甲天英額大居士」と刻まれた釈氏建立の松平定吉の墓標があるといい、定吉の没後十九年にあたる文和七年(1621)7月11日に建てたものという。
 遠江塚は、今も老樹が枝を広げる掛川市下俣にある。JR新幹線掛川駅の西方300メートル地点に位置し、塚の北側はすぐ新幹線の土堤になっている。塚の入り口に「遠江塚」と刻まれた大きな自然石の碑が建てられており、塚の中央に五輪塔がある。真如寺には、定勝がお抱え絵師に命じて我が子の像を描かせたといわれる、りりしい面立ちの定吉画像が納められた。真如寺には「別に肖像を蔵す。当時の画と見えて其相尋常ならず 勇猛の気自ら露われたり」と記された文書が残るという。その定吉画像は寺宝として現存しており、県文化財に指定されている。
遠江塚の現在

※参考及び転載
●『遠江古蹟図絵 全』(有)明文出版社
●『掛川城のすべて』 掛川市教育委員会社会教育課発行

 

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