You are here: TOPPAGE 歴史探訪案内 昔ばなし 第18回 金こい銀こい 山里の暮らしと無縁仏  

[第18回 解説]   
山里集落の暮らしと無縁仏

 昔話「金こい銀こい」に出てくる金銀の玉は、この荒れた屋敷に残された宝の霊であった。そして、ちょうど村へ来た旅の六部(お坊様・外部の者)が玉が遊ぶのを見るという不思議な体験をする。宝発見、お坊様が村の一員となることで解決を下して「めでたしめでたし」というてん末でおわる。時代が定かでないが、貨幣経済が発達し、富農(地主)小作、奉公人といった身分が構成された時代の話であるとすれば、このような没落した長者の話に羨望、争い、妬みなどが出てこないところに昔ばなしの非現実性を感じる。すべてのできごとが少し都合よくできすぎている感もあるが、この昔話の中には、さまざまな村の習慣が隠されているように思える。

村の生活と供養

 まず、この荒れ果てた空き屋敷を村人たちはどのように見ていたのだろうか。昔話の中では、故あって没落した長者の家であるという。そして、とうの昔に当主は存在しない様子であること、さらに、六部が定住したのち屋敷当主の菩提を供養していることから、その宝の元持ち主であるはずのこの長者やその祖先は、供養する人のない仏であったことが想像できる。そうであれば、村人たちはこの屋敷を随分と気味悪く思っていたことであろう。
 死者の霊は、盆正月には生きている人のもとへと降りてくるという考え方が今では一般的だが、昔の人の死者の霊に対する思いは複雑で、ときには生きる者にとり憑いたり不幸にしたりすると考えられていた。それゆえ多くの家で盆正月には供え物をして祖先の霊を祀る。今でもお客仏などの風習が残る地方があるが、無縁仏は各家庭において祖霊とともに祀るという習慣があった。昔の風習上、特に無縁仏は、供養が十分でないために人々に不幸をもたらすのではないかと恐れられ、村や集落といった共同体でその供養を行うことは必要とされていた。没落した長者は、さびれた屋敷だけが残されて供養する子孫もない様子から、この村の長年解決されない懸案であったとも考えられる。
 六部が泊まった夜、屋敷に出現した金銀の玉たちは、宝の霊であったという。この宝によって長者一族の供養が実現することになる。つまり、長者の供養にかかる費用は村人の誰もが負担することなく実現したのだ。もし、井戸から宝が出てきたのが本当のことであれば、没落した死者の霊にとり憑かれるかもしれないところを六部の登場によって長者の霊に「ハライ」が行われ、村の問題が円満に解決された−−というのがこの昔話の大筋だ。村の共同体としての規律、死者の霊への恐れ、無縁仏の供養、さらに外部から来た他者の受け入れ…など、この昔話には、多くの村の教えが込められているように見受けられる。
 ところで、隠された宝物の霊が「金銀の玉」の正体であったわけだが、「宝物の霊」というのが登場する昔話が調べた範囲では見当たらない。もちろん、日本人は古くから物や動物に霊が宿ると考えてきたが、かえって妖精や呪文について古くからの文化を持つ欧州に、宝物の霊が登場する話が多いように思える。

 

川沿いの山里 原泉

 原泉というのは地図上の地名として残されていない。今は掛川の北部、川根町との市境の山深い黒俣を含む村々を原泉と呼んでいて、この昔話が伝えられるのは、その原泉南部に位置する大和田である。おそらく昔は、原野谷川に沿って集落が点在していたことと思われる。

 大和田は掛川市街から黒俣へぬける途中にある。掛川バイパス西郷インターチェンジを降りてすぐの県道を北へ向かい、法泉温泉を通過して2kmほどいくと大和田である。大和田隧道をぬけたら左手の細い道に入り、500mほどで原野谷川に架けられた原泉橋にぶつかる。原野谷ダムの手前に位置する山にはさまれた集落で川周辺がわずかな平地が大和田だ。
 残念ながら、空き屋敷や六部の庵、井戸など、この昔話にゆかりのある場所がどこなのかはわからない。

 

参考文献 『日本歴史民族論集4村の生活文化』吉川弘出版
 

『ケガレの構造』波平恵美子著 青土社

  『無縁仏』大島建彦編 岩崎美術社

 

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