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第6話
『茶の五大産地−清見寺の茶−』
お茶街道


清見寺
禅臨済宗清見寺
茶樹
清見の茶樹

室町以前の茶産地


 

植物としての茶の木は、半陰樹といって直射日光を嫌います。大きな木の下に生える潅木で、大きな木の枝からもれる薄日で生育する木なのです。だから昔の茶産地は、どこも陽の当たらない山の斜面でした。京都栂尾の高山寺(明恵上人のお寺)のお茶を本茶というのはご存知かと思いますが、ここも日陰の土地です。昔の茶産地は、天然の育成環境が整った土地が選ばれ、栽培方法も今とはまったく違いました。

清見寺の茶

 時代によって変わることがありますが、室町〜足利時代に全国の五大産地といわれた土地は、奈良県大和の室生寺、伊勢の河居、伊賀の服部、駿河の清見、武蔵の川越。どこも日照時間が少ない土地です。
これらの産地で、お茶街道からいちばん近いのは駿河の清見寺。JR興津駅のすぐ北側にある大きなお寺です。清見寺の西側の道を北上すると、広野・茂畑、さらに北には庵原の杉山という古い茶産地があり、旗打ち川という川が流れています。土地の多くは竹やぶになっていますが、ここには何百年という茶の木の古い株があちこちに見られます。私が訪れたときに地元の人から聞いた話では、明治時代まで茶の木に脚立をかけてお茶を摘んだといいますから、そうとう古くからの茶産地なのですね。現代では産地というと、随分と狭い地域を想像してしまいますが、おそらくかなり広きに渡って五大産地に認められていたようで、茂畑や庵原、遠くは足久保あたりまで「清見寺のお茶」とされていたのだと思います。これは文化・政治面で、寺が全国的知名度と一定の地位をもっていたからでしょうか。
 この清見寺には、近年まで茶の木がありませんでした。20年ほど前のこと。清見寺の先々代の和尚さんが、「うちに茶の木が無いのが残念だ。人々が訪ねてきて茶の木が無いと言うのも寂しいから、茶の木を植えてほしい。」と私におっしゃるので、地元の青年団に依頼して、寺庭の南隅に杉山から茶の古木を五株ほど移植しました。

このように平安〜鎌倉時代は日陰の土地が茶産地として有名になりましたが、秀吉時代以降に茶栽培の技術革新が起こり、茶生産地は急速に拡大します。ただし、その産地には新しい技術に必要な「ある条件」が求められました。次回はそのお話をしましょうね。

清見寺の茶振る舞い

 清見寺は東海道興津の海を臨む高台にある古刹で、古来より名勝地として名高いお寺です。 奈良時代にはこの地に関所が設けられ、その守護として傍らに仏堂が建立されたのが寺の始まりと伝えられています。 寺は東海道のすぐ脇に位置し、江戸時代には山門近くで茶を振る舞ったとの記録があり、その事実を示す道標が今も山門脇に残っています。

道標
山門脇の道標

 

こぼれ話

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お茶街道文化会
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