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[悪病退散の祈祷所 安里山長福寺]

■役行者のご利益は悪病退散

馬頭観世音
 JR東海道線掛川駅から天竜浜名湖鉄道に乗り、原谷駅で下車して10分ほど歩くと長福寺に着く。長福寺は神亀3年(726)に行基が開創した真言宗の寺だったが、室町時代に名僧として名高い松堂高盛禅師の手によって再興され、曹洞宗となった。
 昔ばなしに登場する役行者尊のお堂は、本堂横から急勾配のきざはしを登った丘陵の上にある。この役行者堂は、新しいお堂を江戸時代に再建された古いお堂の上に建てたため、奇妙な形をしている。旧堂の向拝部は外、あとは新堂の内にはいっているという、(平泉の中尊寺・金色堂のような)鞘堂になっているのだ。


■長福寺の鐘を運んだのは北畠軍?!

 昔話の銘文が刻まれた鐘は現在、奈良県吉野郡にある修験道の道場大峰山頂の大峰山寺に置かれ、国の重要文化財に指定されている。
 この鐘は、長福寺の『遠州役行者尊縁起』には役行者小角が空中を運んだと記され、『掛川誌稿』には「本郷里俗の口碑」として天狗が持っていったとされている。
 歴史的にみると、時代は国が光明天皇の北朝と後醍醐天皇の南朝に分裂していた慶応元年(延元3年、1338)。北畠顕家が後醍醐天皇の皇子を奉じて、京都を目指し進軍を開始した。『掛川誌稿』には「天慶年の古鐘、今大和の金峯山の蔵王堂に在り、鞍大和志云、相云建武之役、奥州官軍掠取来此れと、此説実に近し」とある。金峯山、つまり大峰山は当時、南朝後醍醐天皇の重要な拠点の一つだったことから、この進軍途中で北畠軍が鐘を略奪して運んだ説が有力だ。


※参考文献
●『遠州の寺社・霊場』 神谷昌志・酢山隆著
●『遠江古蹟図絵 全』 神谷昌志著
●『掛川市史 上巻』 掛川市史編纂委員会
●『遠州役行者尊縁起』
●『掛川誌稿』

 

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