You are here: TOPPAGE 歴史探訪案内 昔ばなし 第19回 福天天狗さま 秋葉信仰と龍雲寺  

[第19回 解説]   
秋葉信仰と龍雲寺

三尺坊という天狗

秋葉山秋葉寺三尺坊像

 秋葉山秋葉寺がある静岡県周智郡春野町は、遠州から天竜川を上って20キロほど、山梨県に近い南アルプス南端に位置する。全国の秋葉寺の総本山で祈祷寺として信仰を集めている。
  標高866m の秋葉山から1,350mの龍頭山にかけての山域は、千古の昔から修験の道場として行者が荒行に励んだところである。三尺坊は秋葉寺の護神とされる天狗のことで、修験者三尺坊を神格化した信仰が秋葉信仰と混同されて伝えられているが、秋葉寺の本尊は観世音菩薩である。三尺坊は、観世音菩薩の霊夢から生まれたとされ、白狐にまたがった天狗の姿で具形化されている。また、実在の修験者をさすとの説もあり、6〜7歳で出家して越後国蔵王堂十二坊中第一の三尺坊のあるじとなって不動三昧の法を執行したところ鳥形両翼の姿[観音様の化身迦樓羅(カルラ)]となったと伝えられている。

秋葉参詣がブームに

『遠江古蹟図絵』福天大権現
左側の鳥居が福天大権現、橋を渡って右手が龍雲寺

 秋葉信仰は、特に江戸中期になって爆発的なブームとなって全国に広がり、火防の秋葉講は総数3万余、信者数数百万を数えたとも称されるほどの全国規模の組織となっていた。そのブームについて知る手がかりのひとつとして旅日記がある。秋葉山参詣の記録でいちばん古いものは、明和2年(1765)に出羽国の人が記したもので、そのころには秋葉信仰が全国的に拡大しつつあったことを伺い知ることができる。興味深いのは、資料によると100点中69点が往路で東海道を利用して掛川宿から分岐して秋葉山へ入り、御油宿で東海道に戻って伊勢参りをすませ、復路は主に中山道を経由して信州善光寺などへ回っていることである。帰路に参詣した例も含めると100点中81点が旅の途中に秋葉詣でをしていることになる。このような旅日記を記す旅人は、ある程度余裕のある人が多く一概にはいえないが、当時の物見遊山の旅のコースの代表として秋葉詣でが含まれていたことは注目すべき点であろう。秋葉山の霊験ご利益については『東海道名所図会』(1797)にも紹介され、人々は東海道を旅し、秋葉常夜燈から秋葉道を通って秋葉総本山をめざした。そのころの秋葉寺は、かなり大きな組織となっていたようである。そして三尺坊のイメージは民間信仰によって肥大化し、各地に新しい秋葉寺院が興されるようになった。この福天天狗がとり憑いたという話は、秋葉参詣ブーム当時に伝えられた話かもしれない。

福天大権現の史跡
龍雲寺内の福天大権現

 福天大権現は、今も菊川町西方に伽藍を構える洞谷山龍雲寺の本堂左わきに奉られ、地元の人々に「福天さま」と呼ばれ親しまれている。享和3年に著された書物『遠江古蹟図絵』(上図)には、江戸時代には龍雲寺の南側にある小高い山の山頂に奉られていたことを示す鳥瞰図が描かれているが、今は寺の本堂左手に移されている。福天大権現は江戸時代から願かけにご利益があるといわれ、遠く江戸からも参拝者があり、東海道の道中記や絵図に案内されている。また、掛川市伊達方には、福天大権現への道標がある。東海道の伊達方一里塚から福天大権現までの道は「西方村福天大権現道」と刻まれており、寛保2年(1742・江戸中期)との石工の銘から往時がしのばれる。

 

参考文献 『秋葉信仰』田村貞雄監修 
部分「東海道と秋葉街道」渡辺和敏著 雄山閣出版
 

『遠江古蹟図絵全』解説神谷昌志(有)明文出版社

  『三尺坊』藍谷俊雄(秋葉寺山主)著 村田書店 

 

昔ばなしのもくじ 福天天狗さま 秋葉信仰と龍雲寺  

 

お気軽にご意見ご感想をお寄せください。

お茶街道文化会
主催:カワサキ機工株式会社